サンメッセ日南 Sunmesse Nichinan

いやされみたされよみがえる「サンメッセ日南」は、地球の真の平和を願い、「太陽からのメッセージを受けて地球に許される生き方に気づく」をテーマに設立された公園です。この「気づき」のご縁作りのため、当園は主に次の3つの施設が有機的に組み合わされて成り立っています。

地球感謝の鐘

地球感謝の鐘

「太陽からのメッセージを受けて地球に許される生き方に気づく」ーーこのサンメッセ日南の設立理念を顕揚すべく、当園の中心に建立された最重要施設です。むしろ、この鐘の音を鳴り響かせるためにこそ、サンメッセ日南は設立されたのです。
上述の理念の根底には、当園の設立母体である「一燈園」の創始者・西田天香の「不二の光明によりて新生し許されて活きん」という祈りがあります。両者に共通するのは「許されて生きる」という根本の姿勢であり、この姿勢を堅く守りつつ、天香の祈りをいわば現代的に展開・継承したものが、サンメッセ日南の設立理念であると言えましょう。「地球にやさしく」といった、いかにも人間中心的な思い上がった発想からではなく、私たちを生かしてくれる地球への深い感謝の気持ちを基とし、その地球に許されて生きるという謙譲の心をもって真に自然環境を大切にしたいーーそれが、今日もこの鐘を打ち鳴らす私たちの、心からの願いなのです。
この鐘の建立に際しては、国内の多くの宗教教団(神道系・仏教系・キリスト教系の諸団体)に、ご助言と資金協力を仰ぎました。 リンク先をご覧下さればお分かりいただけると思いますが、このように多数の教団が、ただ一つの理念のもとに一致協力して行動したこと自体、きわめて画期的な出来事です。この一事をもってしても、地球感謝の鐘は後世に残る記念碑的な建造物であると言えましょう。
そればかりではありません。建立にご協力いただいた諸教団には、それぞれのお立場から、自然環境への想いや願いを、「地球へのメッセージ」という形でお寄せいただきました。また、その他にも、海外に拠点を置く多くの著名な宗教者や宗教教団ーーユダヤ教・イスラム教・ヒンドゥー教を含むーーが同様のメッセージをお寄せ下さっています。そのメッセージの全ては、鐘を取り囲む石柱群に刻まれて、来場者の方々に、いつでもお読みいただくことができます。どの一つをとっても素晴らしいお言葉です。是非、ご覧いただきたく思います。
鐘そのものは「サヌカイト(讃岐岩)」という、打てば澄んだ穏やかな音を発する自然石で作られています。その神秘的な美しい響きは、地球への感謝の心をのせて大地に染み込み、あなたの心を満たすことでしょう。

愛善無怨灯

愛善無怨灯

二十一世紀出発の灯が私たちの未来を照らす「これからの火」であるなら、この愛善無怨堂の火は私たちを過去から照らす「伝統の火」であると言えます。この火を新たに迎え入れたことで、二十一世紀出発の灯も一つの新しい価値が加わりました。今、この二つの火は、地球感謝の鐘の中心から、そのやや東に位置する「太陽の丘」へと移され、丘の中央にそびえ立つ巨岩の凹みに燃えています。その配置は、これらの火を正面から見る人が、その視線のはるか彼方に比叡山を望見するように、慎重に定められました。こうして、二つの火は過去と未来をつなぎ、さらには永遠性を帯びて私たちの歩みを照らす真に常燈の火となったのです。

二十一世紀出発の灯

二十一世紀出発の灯

オープンから5年、ついに迎えた2001年の最初の三日間に、21世紀が平和の世紀となることを願って、お客様ご自身の手で太陽から採って頂いた火です。のちには縁あって広島原爆の残り火を加わせ、未来を照らす希望と戒めの火としてともされ続けてきました。さらに、2015年からは、当園の母体である京都・一燈園の創始者・西田天香が、「世の暗きを照らす巨燈」となすべく、自ら火打ち石で切り出した火に(1)比叡山延歴寺に1200年以上にわたって灯されてきた「不滅の法灯」(2)天香が敬愛した聖徳太子ゆかりの寺・広隆寺の灯明(3)「京の伊勢」とも称されている日向太神宮の灯明を合わせて一火としたものです。いわば過去から照らす伝統の火であり、未来を照らす二十一世紀出発の灯とあわせて、人類の来し方・行く末を照らす当遠の火として灯され続けることでしょう。

モアイ アフ・アキビ

モアイ アフ・アキビ

世界で初めてイースター島の長老会から正式な許可を受け、学術的な精密さをもって再現された7体の巨大なモアイ像です。まさに当園最大の「呼び物」ですが、このモアイ達にしても、決して単なる物珍しさから当園に建てられたわけではありません。
かつて、イースター島の人々は、せまい島内で耕地を拡大するために盛んに森林を切り拓き、島の自然環境は著しく荒廃しました。その結果、食糧難が発生し、部族間の戦争が続いて、島民自身もほとんど滅亡寸前にまで追い詰められたのです。イースター島の歴史が、しばしば「戦争と環境破壊に満ちた20世紀文明の先取り」と称されたのです。
当初、各部族の守り神として熱心に建立された無数のモアイ達は、島民たちの抗争の過程で、そのほとんどが引き倒されました。今日、イースター島の随所に見られる、無残に倒壊したモアイ
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日南海岸の風光

日南海岸の風光

いやす みたす よみがえる
13,500kmの海の向こうにあるイースター島のモアイたち。サンメッセ日南に縁のある日本チームが修復した成果によってユネスコの世界文化遺産に登録され、ここ宮崎 日南海岸に創建当時の姿を復元するプロジェクトが実現しました。
神話の国宮崎、そして素晴らしい海、山、風、木々のざわめき
大自然の恵み ヒムカ 日南の地
この地の持つ 大自然のパワーを感じる そして地球に感謝することに気付く
そんな出会いの場がサンメッセ日南なのです。

日本モアイ修復チームの奉仕

日本モアイ修復チームの奉仕

高松市のクレーンメーカー(株)タダノが1992年2月、企業の社会貢献活動として、イースター島の倒されているモアイ達の修復を実施することを発表。奈良国立文化財研究所及び古い石を扱う飛鳥建設(株)とモアイ修復委員会を立ち上げ、50tを吊り上げる大型クレーン1台と1億円を拠出。飛鳥建設 左野勝司氏の指導により、1995年5月、アフ・トンガリキ15体のモアイを再現しました。
そして、そのお礼としてイースター島の長老会(市長を含む議会)は、感謝の証として日本のチームに世界で初めて日本でのモアイ復刻を許可。その頃京都の一燈園の当番でサンメッセ日南の創立者である西田武は宗教協力による「地球感謝の鐘」建立を決意。更に太平洋の水平線に昇る朝日からイースター島、そしてモアイに気付き、(株)タダノと深いご縁がある関係で、日南海岸にモアイ(アフ・アキビの7体の完全復刻)を建立することができました。

倒されたモアイ

倒されたモアイ

1991年に某TV局が世界七不思議の一つと言われている、イースター島のモアイ像の現状を放映した。昔の部族抗争と、1960年のチリ大地震によって倒壊したまま放置されている多くのモアイの姿であった。そして、その番組は日本が世界の平和に貢献するとしたら、荒廃しているこのような世界の文化財を修復するのも大切なことなのではないかと訴えた。このテレビを見た大型クレーンを製造している高松市の(株)タダノの社員らによる奉仕活動としてモアイ修復に取り組むことになった。